写真

 2007年1月15日から1月29日にかけて、南米のウルグアイで1週間、その後アルゼンチンのブエノスアイレス・イグアスの滝で各1泊、サンフランシスコで2泊、ホノルルで2泊した旅の記録


◆第35回毎日出版文化賞/対象:西村三郎著『地球の海と生命』

◆第2回梓会出版文化賞/対象:海鳴社

◆渋沢・クローデル賞(2001年)/対象:大谷悟著『みちくさ生物哲学』

◆黒田清JCJ新人賞(第5回・2006年)/対象:堤未果著『報道が教えてくれない アメリカ弱者革命』(JCJ:日本ジャーナリスト会議)

編集長からの手紙

 3月15日刊の『文化精神医学の贈物』(林憲著)のなかで、考えさせられる文章がありましたので、以下に紹介しておきます。

 日本の親子心中の現象から次の二つのことがいえる。すなわち、その一つは親子心中の発生には自殺の直接原因にかかわりなく、親が子どもを残して死ぬことができない事情がある。それには家庭の問題を家庭外に持ち出してはならないといういわば家族区分意識が関係しており、残された子どもが、一方ではつらい世間で生きていくことの不憫さから、他方では他人に迷惑をかけなければならない申し訳なさから、道連れにすることで、これらを一挙に解決しようという意図が働くことが特徴である。「死なばもろとも」の意はある種の解放と自由獲得への道であるかのようである。

 もう一つは絶望状態におかれた親が、多くの場合抑うつ状態になっており、恨みや怒りが外に向かって発露されず、破壊衝動が自殺といったもっぱら直線的に自己に向かう傾向である。これは母親が夫への怒りをあからさまに表現し、衝動を自分に折り返して報復の効果をねらう状況とはおよそ異なったものである。このように日本のケースは破壊衝動を内に向ける傾向が強く、よりマゾヒスティックあるいは自罰的であり、家庭内の葛藤も家庭内にとどめて、外界へ出さないといった、日本的特徴を示している。この傾向はまた日本の社会・人間関係および家族関係一般に通じるものであるといってもよいであろう。現代社会では核家族化が進行し、タテ社会の崩壊が起こり、仮に家族が絶望状態に陥ったときにも、父母親戚あるいは知己友人の援助が得られない場合がしばしば起こりうるであろう。しかしそれよりも「他人に迷惑をかけてはならない」という気持が他の援助を拒んでいるように思われる。ここでいう他とは、共同生活をする家族という枠内に自分たちを限定する立場に立った他人ということになる。

 これを台湾人の家族意識と比較すると非常に違っていて、台湾人は核家族化のいかんにかかわらず、親族または血縁者の広い範囲に家族内の者と同等な依存関係を持つことができるのである。たとえば兄弟姉妹が結婚し別居した後でも、自分の家庭だけが明確に区分された家族であるという意識はあまり強くなく、結婚前の兄弟姉妹の関係は延長されて行き、居住地の物理的距離とは関係なく大家族の原型が現代社会の変化に遭いながらもモディファイされて広がっていくのである。


http://www.kaimeisha.com/